母、村へ来る

一週間前ほど前に日本の母から連絡が来て、
カンボジアに行こうかな、というのです。

私たちが日本を発つ前は、全然そんな気持ちはなかったのに、
カンボジアにそのメールが来て五日後にはカンボジアの村に来ていました。

恐るべしわが母上のフットワーク。

母はもうカンボジアは4回目ですが、孫とここで過ごすのも、
ずっと村で生活するのは初めて。
子供たちは村の刺激のない生活に飽き飽きしてばばが恋しくなっていたので
ばばも子供たちも双方大喜びでした。

このコートノー村は私の大好きな住まいであるけれど、やはり異国であり
母がここにいることはとても不思議な気がしました。
でもすごく自然な気もしたのはやはり親子だからだと思う。

私が結婚してからしばらくして、母との関係が徐々にかわって
幼い時のべったりだったあの頃と違ってしまって、なんだか母の性格も
変わってしまったように思っていたけど、

この村で母と歩き、語っていろんなこと共感しあった数日で、
母との関係は本質は何も変わってないんだなと思った。
そんなことに気づけたのは、
この村だからなのか、なにもしばられていないからなのか、
ゆっくり時間が流れているからなのか、太陽の傾きとともに生活があるからなのか。

母が来てくれた一週間はうれしかった。

こーさんが西バライで私と子供と母を舟に乗せてくれた。
手漕ぎの小さな舟。

魚を、網を仕掛けて捕ってみようというのです。周りにはほかにも網を仕掛ける
村のおじさんがいました。夕方仕掛けて、明日の朝捕れたかみに来るのです。

こーさんが舟を動かしながら網をしかけている間、私たちは
ずっと夕日をみていた。