村に家族で住んで思うこと
少し前から朝散歩を始めました。
旧道である、西バライのまわりを囲む道を早朝、 一人で歩くのです。
この旧道は、アンコールワット時代からあった道。 アンコールワットに続いている道。
自然なままの木々が繁り、リスや鳥がたくさんいます。
そして西バライにあがる朝日が素晴らしい。
一人で毎朝違う西バライと、朝日と、 バライで朝から魚を採る村の人たちの営みをみつめること、 それはなににも替えられない自分だけの時間です。
カンボジアにしばらくいて、 こうして時間に制限がないゆっくりした日常を過ごすことで、 みえてくることもあります。
それから、国際結婚の私たち夫婦、場所がかわれば、 それも夫の故郷にいけば勝手も違い、夫婦喧嘩もします。
ときに村から出て街に行きたいな、 と思ってもなかなか自分の自由にはいけない生活は、 暇が多いこの生活は、悶々としてしまうこともある。
私には必要な時間として神様が与えてくれたんだと思う。
試練などではなく、ただ子どもとただ一緒に過ごせることとして。
二人が走り回って遊んでるところを眺める気持ちを。
この日、 真っ赤なグラデーションの夕空に浮かぶ三日月を子どもと見ました 。
今過ごしているこの時間を思いきり味わおうと思った夕方。





